進学塾ism

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講師ブログ

 こんにちは、高校数学担当の森蔭です。
 早いものでもう6月です。どの高校でも中間テストが行われました。文字通り日本を震わせた大震災の発生から早3ヶ月が経とうとしています。東北ではまだまだ復興の見通しすら立たない中,皮肉にも日常は平静を取り戻しつつあります。
東北の報道で最も耐え難いことは,児童・生徒の実情です。その中でも命を落とした子どもたちの報道は,胸が掻き毟られる思いになります。私も二児の父親ですが,その心中は想像を絶するものでしょう。「親の子に対する愛情」とは筆舌に尽くしがたいものがあります。
 先日,井上靖の第一詩集『北国』(長らく絶版になっていたもの)を安価で手に入れることができました。その一編に「愛情」という詩があります。正に「親の子に対する愛情」を語った作品で,私は言葉にならない深い感動をおぼえました。
 「愛情」
五歳の子供の片言の相手をしながら,突然つき上げてくる抵抗し難い血の愛情を感じた。
自分はおそらくこの子供への烈しい愛情を死ぬまで背負いつづけるであろう。こう考えながら,いつか深い寂寥の谷の中に佇んでいる自分を発見した。その日一日,背はたえず白い風に洗われていた。
盛り場の人混みにもまれても,親しい友の豪華な書庫で,ヒマラヤ学術踏査隊撮す珍奇な写真集をめくっても,所詮,私のこころは医やすべくもなかった。夕方,風寒い河口のきり岸にひとり立って,無数の波頭が自分をめがけて押しよせるのを見入るまで,その日一日,私は何ものかに烈しく復讐されつづけた。
 どこかの歌手が「相手に求め続けてゆくものが恋,奪うのが恋.与え続けてゆくものが愛,変わらぬ愛.」と歌っていましたが,「親の子に対する愛」とはそんな奇麗事で済まされるものではありません。親は子のためといいながら,いつしかその子の未来にこっそりと自分の未来を忍ばせていく。気がつかないならばまだしも,ほとんどの親がそのことに気づきながら子どもを育てていく。どこかうしろめたい思いを押し殺しながら,「この子のため,この子のため」と自分に言い聞かせるようにして。「親の子に対する愛情」とはそういうものなのです。奪うとか与えるとかという対象ではなく,自己と他者を凌駕する存在との格闘そのものなのです。私はこの詩を読んでそう再認識させられました。それは良いとか悪いとかというものではありません。ただひとつ言えることは,そこには「覚悟」が存在するということです。その「覚悟」が善悪を超えた「深さ」を与えるのだと思います。
 今回の震災は,その「覚悟」さえ打ち砕き,悲しみすら喪失させるものだったにちがいありません。私は毎夜,もう寝入った我が子の頬をさすりながら,謝罪とも感謝とも言い表せない思いから心中で手を合わせます。

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