進学塾ism

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講師ブログ

 こんにちは,高校数学担当の森蔭です。
 今年の夏は異常な気象状況でまだまだ天候不順が続きますが,もうすぐ夏休みも終わろうとしています。来週からは新学期が始まります。この夏休みは有意義に過ごせましたか?思っていたより予定が進まなかった人も多いのではないでしょうか。現実は厳しいですよね。しかしその現実を踏まえて次を考えなくてはいけません。大切なのは現実と向き合うことです。
 先日,高校3年生のある生徒とひょんなきっかけからフランツ・カフカの話になりました。カフカは20世紀のハンガリーの作家で,シュールレアリズムの先駆者と言われており,代表作には「ある朝グレゴール・ザムザが不安な夢からめざめると,自分がとほうもなく大きな毒虫に変わっているのを発見した。」の一文から始まる『変身』があります。私も大学生のときにこの作品を読んだことがありましたが,正直にいってカフカの描く世界観があまりよく理解できませんでした。しかし,その生徒の貸してくれた本を読み直してみると,その本は私の持っているものと訳者が違っていたようで,あの有名な一文目から私の中にすっと入ってきたのです。それ以来私はカフカに興味をもち,カフカに関する本を何冊も読むようになりました。
 カフカというと,大きな目に痩せた頬で神経質そうな面持ちです。見た目にも変人っぷりが滲み出ているのですが,中々のネガティブ気質でその作品も独特です。ただ,彼の残した作品以外に婚約者に宛てた手紙や書簡・エッセイなどを読むにつれ,私の中でカフカ像が変化してきました。例えば次のようなものです。
 将来に向かって歩くことは,ぼくにはできません。
 将来に向かってつまずくこと,これはできます。
 いちばんうまくできるのは,倒れたままでいることです。
 この言葉は一見ネガティブなのですが,何度か読んでいると,「~できない」で終わらずに自分にできることを主張していることに気がつきます。たとえ倒れてしまっても,「立ちあがれない」のではなく自分の意思で「立ちあがらない」のです。
 いっさいの責任を負わされると,おまえはすかさずその機会を利用して,
 責任の重さのせいでつぶれたということにしてやろうと思うかもしれない。
 しかし,いざそうしてみると,気づくだろう。
 おまえには何ひとつ負わされておらず,
 おまえ自身がその責任そのものにほかならないことに。
 ここでいう「おまえ」とはカフカ自身のことです。そうするとカフカの弱々しい姿が頭をよぎるのですが,何度も読んでいると核心を突かれたような気になってきます。人には色々な外圧がかかるものです。しかし,本当に重いと感じているのはそんな外圧などではなく,自分自身を抱えて生きる責任なのです。そこからは逃げられませんから。
 この人生は耐えがたく,別の人生は手が届かないようにみえる。
 イヤでたまらない古い独房から、
 いずれイヤになるに決まっている新しい独房へ,
 なんとか移してほしいと懇願する。
 人生には絶望がつきものです。イヤなことから逃げ出してもそれは一時的なもので,またいずれイヤなことがおとずれます。だからこそ自分の人生から逃げずに向かい合う。この言葉からカフカのそのような強い意志が伝わります。実際に彼は,その通りそんな人生から逃げ出そう(自殺を図ろう)とは一度もしませんでした。
 ぼくは自分の弱さによって,
 ぼくの時代のネガティブな面をもくもくと掘り起こしてきた。
 現代は,ぼくに非常に近い。だから,ぼくは時代を代表する権利を持っている。
 ポジティブなものは,ほんのわずかでさえ身につけなかった。
 ネガティブなものも,ポジティブと紙一重の,底の浅いものは身につけなかった。
 どんな宗教によっても救われることはなかった。
 ぼくは終末である。それとも始まりであろうか。
 最後の一文には,グッときます。カフカの強さに心が震えます。カフカは決してポジティブな人ではありません。それどころか,ポジティブなことを底の浅いこととして倦厭さえします。いつの世もポジティブであることが賞賛され,ネガティブであることは後ろ向きだと嫌悪されがちです。しかし,ネガティブだからこそ感じられること,ネガティブだからこそ溢れてくる力もあるのだとカフカを読んできづかされました。
 うまくいかないことが続いてヘコミそうなときは,とことんヘコメばいいのです。そのヘコミが自分自身の味になります。ヘコんでいる人は現実と向き合っている人なのですから。さあ,今からが始まりです。

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