進学塾ism

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講師ブログ

 こんにちは。高校数学担当の森蔭です。

 記録的な暑さや大雨、次々と襲いかかる台風、いつ来るや知れぬ大地震。不安の続く毎日に季節の移り変わりを感じなくなっていましたが、いつの間にか10月です。2学期が始業してから続いてきた文化祭や遠足などの楽しいイベントが終わり、いよいよテストのシーズンが到来します。特に高校3年生にとっては、毎週末に模擬試験が行われる「模試ロード」が始まります。否応なく突きつけられる現実や目の前に立ちはだかる壁に、なす術がなく感じる時があるかも知れません。

 先日、数十年来の念願を叶えるべく瀬戸内海にある小さな島、直島を訪れました。日本の原風景である瀬戸内海の自然や固有文化の中に現代アートや建築を置くことによって、どこにもない特別な場所を生み出そうと、ベネッセホールディングスが30年ほど前に始めた地域再生・芸術プロジェクトを体感することが目的でした。

 直島の港に着くや否や、現代アートの雄、草間彌生の作品(真っ赤で大きなかぼちゃのオブジェ)が出迎えてくれます。その他にも島のいたるところに現代アート作家の作品が、展示ではなくただ置かれています。作品に触れることも、その上に乗ることすらも咎める人は誰もいません。

 一方で、それらの作品のすばらしさを島の人たちが島の歴史や文化とともに熱く語るのです。「アートは主役ではありません。そこで暮らす人々の生活こそが主役であり、アートはその魅力を引き出すもの。アートをみるだけではなく、それを通してみえてくるもの、そのことを大切に持ち帰ってください。」とおっしゃられていました。芸術は鑑賞するものと思い込んでいた私にとっては衝撃的な体験でした。

 宿泊したホテルに隣接するベネッセハウスミュージアムで、アメリカのコンテンポラリーアーティストであるブルース・ナウマンの『100 Live & Die(100生きて死ね)』という作品をみました。100個の「○○ & Live」と100個の「○○ & Die」がカラフルなネオン管で描かれており、それらが一定の間隔でひとつ点灯しては消え、またひとつ点灯しては消えを繰り返します。「Live & Die」「Laugh & Live」「Cry & Die」「Play & Live」… そのことばを目で追っていると一篇の詩を読んでいるかのような気持ちにさせられました。点滅を繰り返すことばの一つひとつが、今この瞬間も地球のあちこちで起こっている他愛もない日常。その日常の中で私たち人間は懸命に生きているのだと改めて気づかされました。心の奥の深いところをさすられたような気持ちでした。

 近くにいた学芸員の方から、作品の後ろ側にある階段を昇ることをすすめられました。階段はミュージアムの壁面に沿ってその天井近くへと続き、最後はコンクリートむき出しの壁につきあたります。このミュージアムは建築家の安藤忠雄さんの作品なのですが、安藤さんにこの階段をつくった意味を尋ねたところ、それはここを訪れる人ひとり一人が感じることだとおっしゃられたそうです。私は促されるまま階段を昇り、壁の前に立ちました。しばらく壁を見つめ、壁に手を置いてみましたが何ひとつ答えが見つかりません。一度階段を降りかけて、もう一度壁の前に戻りましたが同じことでした。打ちひしがれながら階段を降り、作品の前にあるベンチに腰をかけました。その瞬間全てのネオン管が一斉に点灯し、それをみたとき心の奥底からこみ上げる熱いものを感じました。

 ミュージアムには室内を照らす蛍光灯はなく、その明かりは天井にあけられた丸い天窓からとられています。そのとき窓からは灼熱の強烈な自然光が差し込んでいました。その強さゆえ真下にある作品のネオン光が霞むほどでした。私たち人間はテクノロジーを駆使しながら必死に生きようともがいている。時に予想すらできないような自然の猛威に怯えながらも日常を生きようとしている。そんな中にも次々と壁が立ちはだかり、その前でなす術なく立ち尽くす。しかし、そこから少し離れてみることで気がつくことがある。目の前にある壁さえも私たちを外の危険から守ってくれるシェルターなのかもしれない。コンクリートから伝わる冷たさは、熱くなって周りがみえなくなっている自分自身への癒しなのかもしれない。私はそう感じました。

 これから大学入試に挑む皆さん。迫り来る高く大きな壁の前で立ち尽くしたとき、どうぞISMというシェルターの存在を忘れないでください。あなた方がここまで来たことも、あなた方がこれから行く先も、私たちは一緒にみとどけますから。

 ちょうど一年前に贈った私の好きな宮沢賢治の詩集『春と修羅』の一節を再掲します。

 わたくしという現象は

 仮定された有機交流電燈の

 ひとつの青い照明です

 風景やみんなといっしょに

 せはしくせはしく明滅しながら

 いかにもたしかにともりつづける

 因果交流電燈の

 ひとつの青い照明です

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