進学塾ism

お知らせ/コラム

講師ブログ

 高校生の英語担当の牧田です。
 早いものでもう11月。産休・育休から復帰してまるっと1年がたちました。
 最近本当に、高3生の顔つきが変わってきました。受験に対する緊張感、思うように成績が伸びてこない苛立ち、あるいはとにかく出来ることを最後まで悔いのないようやり通そうという強い意志などが表れています。この高3生はISM開校時の高1生で、わたしにとってISMで初めて教えた子たち、なんとか夢実現を達成してもらいたいものです。
 この子たちを見ていて、最近よく自分の高校時代を思い出します。私の高校時代は、えーっと、何年前?子供たちの前でよく高校時代の話をすると、「先生の高校時代って何年前?」と聞かれることも・・・確かにかなりの年月が経ってしまいましたが、受験勉強の記憶だけは、ついこの前のことのようにはっきり覚えています。
 私は松阪にある、あのオレンジジャージで有名??(当時はオレンジジャージに真っ青な靴が指定)な中学出身なのです。高校入試は中学の先生にすすめられるがままに、(ちょっと楽して早く合格したいなという気持ちから)私立の女子高に専願推薦で受け合格したため、全く苦労した覚えはなかったのです。そして、高校に入学して、女子高のすごさや、校則の厳しさに驚き、勉強面でも、中学のときのようなやりかたでは高校ではついていけなくなったのも事実です。当時、私には特に目標もないまま、その時その時が楽しければいいという思いで過ごしたために、成績もどんどん落ちてしまいました。
 高3になって、夏がすぎたころ、担任から、「もうそろそろ、現実を見ないといけないよ。申し訳ないが、君の今の成績ではとうてい国公立は無理だね。僕のすすめる、私立を指定校推薦でいかないか?」と言われたのです。それまでは、正直、「なんとかなるだろう」と楽観的にとらえていました。模試結果も適当に見て、自分の都合のいいように判断をしていたのです。しかしこの言葉で、ようやく危機感を感じたのです。「遅い!!」と言われたらその通り、否定できないのですが、当時の私は本当に自分の将来のことなのに何も考えず、行動もせずに2年半すごしてしまっていたのです。でも、担任にこのように言われて、「これではまた高校受験のときと同じ、何も自分で決められなくなる。このまま推薦で進学すれば楽なのかもしれないが、その後もしうまくいかなかったとき、これをすべて他人のせいにしてしまう。自分で責任が取れるよう、今度こそ自分で決めて、残り少ないけれどそのために全力で努力してみよう」と思ったのです。うちには当時、私大に通っている姉がいて、確かに私には国公立の自宅から通えるところに行ってもらいたいという両親からのプレッシャーのようなものがあったのも事実ですが、最終的には自分で国公立受験を決めました。
それからの3か月半は、死に物狂いで勉強しました。恥ずかしながら、何をすればよいかも分からず、各教科の先生からアドバイスを受けました。とにかくバランスよく勉強しないといけないから、毎日すべての教科をしなくてはいけない。そして、世界史は教科書を5回読み通せ、生物は教科書を3回+模試問題集を2回は繰り返せというもの。英語、数学、国語についても薦められた参考書・問題集をかなりの量をこなすようにとのこと。それまでの蓄えがない私にはかなりの量になるのですが、私にはもう考えている時間はない。とにかく毎日それぞれの教科でやると決めたものに日付をふってこなしていきました。やりかけて、2週間くらいしたころ、言いようのない不安が襲ってきました。初めて感じるもので、「毎日、とにかく勉強はしているし、苦痛でもない。でも5教科少しずつしかやれていなくて本当に自分の身についているのだろうか。これで失敗したら、就職??」いろいろなことが頭に浮かんできました。それまでは、何もしていなかったから、何も感じなかったのでしょうね。けど、「不安に感じてももうやるしかない、とにかくいけるところまでやろう」と何度も自分に言い聞かせて、センター試験まで自分の信じたやり方を通しました。もちろん直前の模試結果は、そこまでやっていなかったときの結果なのですべてE判定。周りは本当にセンター受験をするのかと心配したり、あきれていたようです。
 センター受験が直前に迫ったころ、もう勉強し始めたころに感じていた不安はどこかにとんでしまっていました。ここまでやったのだからいける、勝負できるという気持ちに変わっていました。たとえ結果が悪くても、その時は自分で受け止められる気がしていました。精神的にもとても強くなったと思います。そして、本番の結果、なんと世界史98点!!生物なんて模試の時の偏差値が倍になるほどの上がりようでした。模試では800点中400点ほどしかなく、当然国公立なんて望めないものだったのですが、本番で630点という結果が得られました。学校の先生も驚き、自己採点は2回させられるほどでした。
 私の場合、本番でうまく結果が出せたこと、当時、最も苦手とした数学が非常に難しい問題が出題されたため、差がつかなかったという運のよさもあり、第1志望に合格できたのですが、高3の夏過ぎに感じたあの精神的な不安だけは忘れられません。
 ISMで教えていて、特に、高1・高2には当時の私のように「なんとかなるさ」と感じている高校生がまだまだ多いのが現実です。目標や勉強の仕方についても自分で考え、行動している子どもはごくわずかです。でも、やはり高3の時に感じたあのなんとも言えない不安を高3の時期に感じさせなくて済むようにしたい。誰しも勉強し始めて最初のころに感じるあの不安感をなんとか高1、高2の時に感じ、高3では本当に自分のペースで余裕をもって勉強に取り組めるようにもっていきたいと思うのです。よく、授業で私の体験を話すのですが、なかなかそれを自分のこととして受け止めてもらうのは難しいようです。今の楽しさを重視する子どもたちに、なんとか先を見ることもできるような指導をしていきたいと思います。

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