講師ブログ
2009年4月22日
「あの先生がいたからこそ」
こんにちは。小中部文系教科担当の坂本です。
新年度が始まり数か月経ちました。子供たちも随分塾という新しい環境にも慣れてきた頃だと思います。今日は私自身の塾へのこだわりや考えについてお話ししたいと思います。
少年時代の私は、決して勉強が好きな子ではありませんでした。
学校から帰るとさっさと宿題を済ませ、すぐに遊びに行ってしまう毎日だった記憶があります。ですから日常生活に占める勉強時間の割合は限りなく低いものでした。そんな勉強からかけ離れた私に、「塾」という衝撃的な異次元の世界を勧めた(無理やり?)のは母でした。その塾は俗に言う「スパルタ」というものでした。挨拶から始まり、正座での授業、先生から当てられたら3秒以内に答えないと男女を問わず竹棒(?)で頭をコツンコツン、たまにおなかにズボッ…大きなこぶができるし顔も次第に真っ暗にマジックで染まっていくし…まさに必至・必死の勉強時間でした。もう塾の日になるとテンションは一日中下がりっぱなし。ひたすら自分が当てられないことを神様に祈っていたのを記憶しています。以前、同じ塾に通っていた兄は、この勉強スタイルは納得いかないとすぐやめさせてもらっていたのに、私の場合は断固として塾をやめさせてもらえることはできませんでした。何度頼んでもやめさせてくれない母は鬼に見えました。それでもなんとか中学3年生の最後までその塾に通い続け、結果的には高校入試では無事志望校に合格できました。
それ以降、私はその先生を忘れることができません。厳しい怖いという表面的な感受だけではなく、今私がこのような場にいられるのは、まさにあの先生のお陰です。そう感謝の念で忘れないのです。嫌いな勉強を避け、楽な方へ楽な方へいこうとする私(他の生徒たちも)を真っ向正面から常に真剣に、子供たちの将来を真剣に考えたうえでの厳しさだと後にわかったからです。卒業後その先生に、高校の宿題を少し教えてもらいに行った友人がいました。その友人が言うのです。「めちゃくちゃ優しく丁寧に教えてもらえたよ。先生は決して怖いだけの先生だけじゃない。あれは皆を本気にさせるショーやったみたい。やるからにはとことん本気で勉強してもらいたかった」と。
あれから25年。あの先生は、今頃どうされているのでしょうか。元気にしておられるのでしょうか。
「今の自分があるのは先生のお陰です。考え理解する大切さを教えるだけでなく、生徒と真剣に向き合う大切さ、生徒の将来を第一に見据えた指導、それが本来の塾の根幹ですね。先生の教育に関して感服するあまりです。あの時は本当にありがとうございました。」
そして今私も教育の現場にたっています。生徒たちに聞くところによると、学校などでのISMのイメージは「躾に厳しい塾・課題の多い塾・補講が多い塾・ルールが多い塾」→「やばい塾」だそうです。それが単に嫌だという生徒たちには、確かにISMは向いていないのかもしれません。しかし、ある程度の達成感を感じさせ、結果を残してやるにはこれらの厳しいルールやトレーニングが必要不可欠なのです。勉強でもスポーツでも社会に出ても、自分を高めるものは苦しいトレーニングしかないのです。失敗しても自分で解決できるくらいまで、自学自立を実践できる子供がISMにたくさん生まれ、後に「ああ、ISMに通っていてよかった~!」と言われることになれば、本当に仕事冥利だと思います。これからもこのスタンスを守り続けスタッフ一同トレーニングをしていきます。