講師ブログ
2012年6月11日
大学入試という知的冒険
こんにちは、高校数学担当の森蔭です。
早いものでもう6月です。どの高校でも中間テストが行われ、その成績が返却されました。高校3年生は第1回全統マーク模試の結果が返却され、つづいて今月末には、記述模試の結果も返却されてきます。どの学年も今年はじめての「評価」が下る時期です。
最初から思うような結果を得られるほど、大学入試(高校の勉強)は甘いものではありません。この結果をしっかりと受け止めて次へ進むための原動力にしてほしいと思います。
定期テストや模擬試験(とくに模擬試験)は「いい点数をとるためのもの」なのではなく、「自分に足りないものは何かを確認するためのもの」なのです。その本来の役割を忘れて、結果だけに一喜一憂していてはいけません。試験は終わってからが勝負です。挑戦・結果・修正のサイクルを繰り返しながら高みを目指す。そのために悩み、苦しみながら少しずつ前へ進むのです。それこそが生き方の勉強だと私は信じています。さもなければ、受験とは全く無意味な、非常に不毛なものになってしまいます。
皆が目指す大学は、単なる知識の詰め込みの量などを測るような問題など出題しません。悩み、苦しみ、それでも諦めず自分なりの答えを出しながら(考えながら)前へと進んだ人が、きちんと評価される試験なのです。
以下に私の大好きな大学入試問題を掲載します。
「次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評価しか与えられなかった。なぜ低い評価しか与えられなかったかを考え(その理由を書く必要はない)、設問に対する新しい解答を5行で記せ。(以下略)」
(1983年度 東京大学)
私は二十数年前これを見て勇気をもらいました。大学というものの気高さを感じました。自分自身が取り組んでいる大学入試というものの意味を、学ぶことの意味を漠然とではあるが感じたことを覚えています。
学んだことに「評価」を下すなど、本来はナンセンスなことなのかもしれません。しかし、良識ある大学はそこから逃げず、そこに大学なりの答えを出そうと挑戦しているのです。
だからこそ、私たちは学びつづけることから逃げ出してはいけないのだと思います。
学ばない者は人のせいにする。
学びつつある者は自分のせいにする。
学ぶということを知っている者は誰のせいにもしない。
僕は学びつづける人間でいたい。
(横浜FC 三浦知良)