進学塾ism

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講師ブログ

 こんにちは,高校数学担当の森蔭です。
 昨日・今日と東海地方に影響を及ぼした台風18号は,秋の台風らしく足早に過ぎ去ろうとしています。台風が去ると一気に秋の気配が深まってきます。
 秋が深まれば,そろそろ衣替えの季節です。毎年この時期に,高校生(特に3年生)の制服の色が濃いものへと変わるのを見ると気持ちが引き締まります。最近の大学入試は冬からではなく,秋から始まります。本格的な受験シーズンの到来です。
 衣替えといえば,もう少しすると「秋の叙勲」の時期がやってきます。胸に立派な勲章を佩用した衣装をまとい記念撮影している様子を見ると,私は何となく違和感を抱いてしまいます。
 そもそも勲章の始まりは,1802年にナポレオン・ボナパルトが作ったレジオンドヌールであったと言われています。現在に至っても,文化・科学・産業・商業・創作などの各分野でフランスのために卓越した功績を残した人に授与されているようで,フランスでは最高の名誉とされています。画家のマネはそれをすごく欲しがりました。彼は「レジオンドヌールがなければ自分はそれを発明しないだろう。しかしそれがある以上は,我が身を守る鎧としてそれを求めるのだ。」と言ったそうです。日本でも,森鷗外は陸軍中将軍医総監従二位勲一等功三級……と続く長い肩書きを持った人でしたが,遺言状に「アラユル外形的取扱ヒヲ辞ス森林太郎トシテ死セントス」と言って亡くなりました。また一方で,ロシアの数学者ペケルマンは100万ドルの賞金がかけられたポアンカレ予想の証明を完成させながら,その賞金とフィールズ賞の受賞を拒否し失踪しました。
 名誉や肩書きに対する考え方は人それぞれです。また,時代や国が変われば違いが出るのも当然です。ペケルマンの行動を学問の追究にかける美しい姿勢だと決めつけるのは短絡的だと思います。しかし,マネであれ鷗外であれペケルマンであれ,何かを成し遂げようと始めた時の思いは極めて純粋なものであったことは間違いありません。
 これから大学入試を迎える高校生も同じです。彼らが大学受験にかけようと受験勉強を始めた時の思いは純粋なものです。それは,未来に対する希望から湧き上がるものです。もっと言うのなら,大学受験はその結果よりも過程にこそ意味があるものです。すなわち勲章は「どこまで真剣に自らの志望と向き合えたか」に与えられるものだと思います。
 入試までにやれることは,まだまだたくさんあります。もっと真剣に向き合えるはずです。そして全てが終わったとき,彼ら全員が勲章を身にまとうのではなく,心にまとっていられることを願ってやみません。

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